2020
03.30

「立ち止まる」ことで見えてくるもの~学び始めた頃を振り返る~

マネージメント

前職を含め管理者となって10年以上が経過し、きちんとした管理者教育を受けて8年が経過しました。この8年間、管理学、教育学、組織学など様々な知識を基に管理者をやってきました。

特にロジカルシンキングでの課題分析や整理は職種柄、違和感なく理解でき日常的に役立てています。科学的に根拠のあるものを提供する医療において、ロジカルな考え方は様々な場面で活用され、私自身も管理者としてマネジメントの場面で課題分析の手法として取り入れています。このロジカルシンキングに対して様々な意見があることも教わり、メリットもデメリットもある程度は理解しているつもりです。

当院の回復期リハビリテーション病棟は開設し2年弱、仲間の管理者とシステムの構築と組織の成熟に関してバタバタと動いてきましたが、私自身の中で考えても消化できないモヤモヤが徐々に大きくなってきました。それは、論理だてて、解決策を立案し実行してもなかなか成果に繋がらず、原因と対策立案を繰り返しする事案があったからです。何回考えても同じ答えになる「沼」に私はまってしまいました。

そんなモヤモヤする日常の繰り返しで少し疲れたので、少し思考を止めて(ゆっくりにして)、周囲の流れ、組織の動きを観察することにしました。そして、少しロジカルに物事を考えることを控えるようにしました。一定の期間が経過した時、当たり前のことに気が付きました。それは、私が相手しているは、「物」ではなく「人間」であるということです。システムを考えるのも人間、動かすのも人間、人間には感情があり、情動と行動は密接な関係で成り立っているからです。

このことをリアルに感じた私は、少し自分自身にショックを受けました。それは、管理学を学び始めた頃は、当たり前のことと思っていた「人間」をいつの間にか少し置き去りにしていました。新しい事業を始め、最短で成果を出すためには、システム化された業務で職員を誘導する必要はあったと思っていますが、「人間」を置き去りにすると、よりよい成果が出ないのは当たり前のことでした。

論理的に考えることと、心理的な面のバランスよい使い分けが出来ていなかったと、「立ち止まる」ことで気付けた気がします。

管理者になりたての頃は当たり前のように思っていた「人間」。知識を学び徐々に忘れていった「人間」。それを気付かせてくれた「人間」。新年度は論理的な思考と、情動と行動の関係を意識して、よい「人間」となれるよう奮闘していきます。

少し立ち止まってよかった。

執筆者:野村 和正

理学療法士・介護支援専門員として臨床で働く事15年。
その半数以上を中間管理職として組織運営に携わり、日々現場と管理の狭間で動いている三児の父親。
子供達の未来の為に「父ちゃん頑張ったぞ」と言える父親になる事が今の原動力となっている。

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意下さい(スパム対策)