12.11
自分を後押しする言葉のチカラ
こんにちは、小柳です。だいぶ冬らしい気候になって参りましたね。皆様お変わりございませんか?新型コロナ感染対策のため換気をしながら診療を行っており、当院の院内は足元から非常に冷えています。きっとどこの医療機関も同様の状況と思います。冷えは万病のもと、風邪などひかないように対策して過ごしたいですね。
さて。今日は言葉について少し考えてみたいと思います。皆さんは、ご自身の中に《流儀》とも言える言葉を持っていますか?私たちは人生を歩んでいく中で多くの方からたくさんの言葉を授かり、受け止めて過ごしています。困難に立ち向かう時に力になったり、人と接することに大切にしている言葉であったり…心の中に多くの言葉をお守りのように、あるいは信念として携え人生を歩む力にしているはずです。
その中にご自分の矜持となる、特に仕事に対する姿勢を決める《流儀》となる言葉はありますか?
私の中で年々その存在を大きく感じる言葉があります。それは『ただやるのではなく、より良くやりなさい』という中高の校長先生のお言葉です。歴史的な格言でもなく、諺でもなく、生活指導のようなこのフレーズ。思春期の学生が聞くには面白みがなく、どちらかと言うと耳が痛い、もはやお説教です(先生、ごめんなさい)。記憶は定かではありませんが、この言葉を何度も聞いたのでしょう。ずっと大切に温めて過ごして生きて来たわけではないのですが、でも不思議なことに仕事をしていると折々、ふと頭に響く言葉になっています。
そもそも仕事はルーティンroutineと言われる同じ作業をする場合が多いもの。そのルーティンroutineばかりが続くと「慣れ」が生じ、「慣れ」に甘んじていると精度が落ちたりケアレスミスが発生したり、あるいは意識が隅々まで行き渡らなくなる場合が往々にしてあります。そして、意識が希薄になると「このくらいで良い」「こんなものだろう」という感覚が生じ、時に仕事を行う集団全体がそういう空気となっていってしまうのです。そうなると、ルールを遵守する職場ではなくなっていきます。
同じ職場で長年仕事を続けていると、「まあこのくらい」「たまには仕方ない」「このくらいでいいや」という“ナマケ心”がムクムクと頭をもたげる場面が出てきます。そんな時に頭に浮かぶのは『ただやるのではなく、より良くやりなさい』という前述の校長先生の言葉です。いつも同じように、同じレベルで、きちんと仕事をする。当たり前のことを当たり前にする。それを保つための信念であり、私の中での仕事の《流儀》となっています。
私が院内を移動する時は、歩きながらカルテを揃えたりしまったり、ゴミを拾い、机の上の文具を片付け、待合室に気を配るなどしています。ただ歩くのはモッタイナイ!
人間がすることに100点満点はありません。常に何か足りないし、ミスもする。特に医療はミスが許されないので常に全体を意識しておく必要があると思います。そうしていれば小さい変化にも気が付けるし、何か事が起きた時には小さいうちに対処することもできます。
皆さんも少し意識してみませんか?
今からすることが『より良い』かどうか?を。
差し出す書類やカルテの向きはそれで良いですか? 歩いている通路にゴミはありませんか? 自分が使った場所はきちんと整えてありますか? 患者様にお渡しする診察券の向きは正しいですか? 患者様と向き合う顔や体の向き、視線はそれでよいですか? 同僚ときちんと目を見て話せていますか?
そして最後に、あなたを後押ししてくれる仕事の《流儀》となる言葉は何ですか?
執筆者:Airi Koyanagi
薬剤師。大手調剤薬局チェーン勤務後、戸塚ヒロ眼科事務長として10年以上クリニックの運営に関わっています。医療スキルと患者様サービス及びスタッフの働き甲斐の3つを成り立たせたいと今も奮闘中
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